虚馬アーカイブス

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「ハウルの動く城」(宮崎駿)

ハウルの動く城 [Blu-ray]

ハウルの動く城 [Blu-ray]

  • 発売日: 2011/11/16
  • メディア: Blu-ray

 はじめに断っておくけど。俺は、宮崎駿に失敗作はない、と思っているし、他の監督と比較出来る領域の人ではないと思っている。それどころか、宮崎監督個々の作品自体が比較しようのない世界を屹立している以上、相対的に比べて語ることは無意味である、とする者だ。
 それは宮崎駿の前に宮崎駿はなく、宮崎駿の後に宮崎駿はいないからだ。宮崎アニメというジャンルでアニメを作れる人は、世界にただ一人、宮崎駿しかいない。そして、俺は宮崎アニメを心から愛し、それを生み出す作り手に心酔している。

 ゆえに。「ハウルの動く城」も比較しようのない傑作であると言い切る。俺にとっての問題は、「ハウルの動く城」がどう傑作であるか、ということだ。



 映画はいきなり城が登場し、あっけなくその威容をさらけ出すと、ある街の一介の帽子店で働くソフィに視点を映す。
 きなくさくなる時代の波が街にも現れ始めているとある街。奔放な母親、明るく自由闊達な妹に比べ、いまいち引っ込み思案で自分に自信が持てずにいる長女のソフィは、店を手伝う日々。ある日、妹に会いに行く途上、彼女はなぞの美青年と出会う。いやもう、宮崎作品最強のイケメンキャラ(wである。追われていた彼は不思議な力でソフィと一緒にふわりと浮き上がり、妹のいる店のベランダへと導くと、いずこへと消えてしまう。
 妹に会い、店に戻ると、突然荒れ地の魔女と名乗る魔法使いが現れ、彼女に90歳になってしまう呪いをかける。老婆になった彼女は、呪いを解くため家を出、荒れ地へと向かう。だが、そこに現れたのは、街で噂の「ハウルの動く城」だった…。



 …とまあ、物語はかように幕を開けるわけだが、物語の導入部の肝は、若い少女が古い肉体にされてしまう、という設定にある。それは、まさに宮崎駿が置かれた肉体の状況と合致する。思うように動かない肉体を描くのは、今の宮崎駿には困難ではないだろう。
 だが、宮崎駿は自らのリアルな感覚をソフィの「肉体」とシンクロして物語を進めていくうちに、彼女の「精神(こころ)」に寄り添うようになる。そして、魔法使いだけのものだったはずの「肉体の変化」がソフィ自身にも起こるようになる。まるで心が肉体を変えていくかのように。
 はじめはささやかだった変化。ソフィが元の姿に戻るのは眠る時だけ(それは宮崎駿自身も眠るときだけが精神と同じ若さに戻れるからだろう。)。だが彼女がハウルにほのかな好意を寄せるようになると、その変化の幅が大きくなる。少女と老婆の心を行きつ戻りつするたびに、ソフィの肉体も変化していく。

 この映画のすごいところは、物語も世界の出来事の意味も常に変化していくことだ。戦争の意味すら、ソフィの恋心への難関としか現れなくなる。これは、今までの宮崎映画ではあり得なかったことだ。つまり、ソフィの心と肉体は社会的な「何か」から解き放たれ、ハウルのみへと向かう。
 これは「耳をすませば」でも描ききれなかった、宮崎駿が初めて描く「身を捨つるほどの恋」ではないだろうか。「耳すま」では好きなひとのために社会的ななにかを得ようとする物語であったが、「ハウル」はその呪縛からすら乗り越えたソフィの心によって世界や戦争の意味すら歪んでいくのである。
 それはまさに宮崎監督がソフィの「精神」に感応したがゆえに起こした、この映画最大のメタモルフォーゼかもしれない。

 「紅の豚」以降、「死」に向かっていた宮崎監督の意識が、この作品では「老」を描くことで「生」の希求という方向に向かった。「世界」のあり方にこだわってきた宮崎監督が、主人公の心のみに寄り添って大きく定型から逸脱した、「紅の豚」以来の個人的映画になっていると思う。そこには「もののけ姫」で描いた「死に向かう物語」から「生を求める物語」へと飛翔した、新たな宮崎監督の境地がある。


 あとキャスティングについて。俺は非声優肯定派(ただし宮崎アニメ限定)で、毎回キャスティングに過敏な反応が出てくることに疑問がある人間なので、今回も問題ありませんでした。つーか特に素晴らしかったと思う。今度のキャストで文句が出てくるなんて信じられん。

 ハウル木村拓哉松田洋治よりものびやかな声が出せているし、宮崎映画最強のナルシストなのでもはやシンクロする。結果的にはハウルはキムタクしかあり得なかった。「美しくなければ生きている意味がない。」は爆笑した。
 ソフィーの倍賞千恵子もかつての宮崎アニメのヒロインに近い、ちょっと老成したような少女声がかえってハマる。老人になると故・初井言榮もかくや、の演技も出せる幅の広さ。しかも声に張りがあるので、精神的な若さも出せる。三輪明宏は言わずもがな(w。我修院達也もいい。そして神木隆之介くん。萌え萌え。「待たれよ」なんていう背伸び演技の段での、その最強の萌えっぷり。素晴らしい。