「下妻物語」(中島哲也)
- 発売日: 2010/05/21
- メディア: Blu-ray
みんな衣服類をジャスコで済ませる茨城の田舎でフリフリロリータドレスを貫き、フランスのロココの心(軽薄万歳)を信奉し、それを貫くために、親父に嘘をついて金をまきあげるクソ女・桃子(深田恭子)。
バイク乗りたかったけど、二輪免許も取れず、50ccの原チャリを暴走族仕様にして乗り回すバカヤンキー女・イチゴ(土屋アンナ)。
そんな、クソ女、バカ女二人がこの映画の主人公。はっきり言って、お前らざっけんな、と思うが、それを見事に共感させ、青春友情ドラマという普遍的物語として昇華させた原作を、今までのフィルモグラフィーで最高傑作が「サッポロ黒ラベル」CM(山崎努とトヨエツが温泉卓球や雪合戦で対決するアレ)である中島哲也監督があらん限りの手練手管を駆使して映画化。
なぜ、そんな凸凹コンビに共感できるかと言えば、彼女たちは自分のクソっぷり、バカっぷりを自覚しながら、それをあえて貫き通しているからだ。大人になることを拒否し、軽薄であることを貫く。尊敬も共感も自ら拒む、そんな「ロック」で「孤独」なエッジの利いた物語ゆえだろう。
とにかく、前半表現こそめまぐるしいが、それぞれの話の流れがきちんと整理されているので、語り口は非常にスムーズ。アニメ・CM・ドキュメンタリー・ニュース・真剣十代しゃ●り場。ありとあらゆるその場限りのパロディをほぼ完璧にコピーし、物語を語る舞台装置としてきちんと使いこなす中島哲也のセンスは見事。普通、そういうパロディは安っぽくなりがちだが、中島監督の映像設計と編集のリズムのセンスは天才的で、見事に表現として完成されているのだ。監督は「完成された石井克人」という感じがする。彼が石井克人の大失敗作・「PARTY7」を撮ったら、逆に彼の最高傑作になっただろう。
失敗続きの桃子の親父の挫折続きの人生、下妻という退屈な地域性が見事なギャグとして戯画化され、それが都会派個人主義なロリータ女・桃子との
堆肥
対比と、彼女の「オヤジ」と「地域」を蔑む目線と重なる、という表現の二重構造を生み出している面白さ。
そして、その地域性から生まれた、都会では絶滅したはずの人種、「ヤンキー」を貫くもう一人の主人公・イチゴ。彼女は地域に根を張る暴走族に所属し、無論衣服はジャスコで揃える下妻的感性の最先端、バリバリの下妻女である。
この映画は、下妻に見下してる女と、下妻どっぷりな女の友情物語でもある。正反対な世界を生きる異人種間ギャップコメディとしても優秀だ。
そんなユニークな面白さに満ちた物語は、やがて普遍的な友情物語へと収斂される。その正統派の語り口でも、中島監督の演出力は揺るぎない盤石を見せる。
「大きな幸せを前にすると人間は臆病になる。幸せをつかむことは不幸を耐えることより勇気がいるの。」
かつてロリータに目覚める前の桃子が、実の母親の再婚へのアドバイスとして送った台詞である。しかし、それは実感のない理屈でしかなかった。しかし、大人になろうとするとき、それは避けては通れない現実である。
この映画はそんなクソ女、バカ女にも現実を容赦なく突きつける。そして、彼女たちはそれに翻弄される。
人生が大きく変わるわけでも、世界を大きく変えられるわけでもないけど、そんな現実に立ち向かっていく勇気の種を手に入れるのだ。
それは、誰しもが必要とする「何か」だから、最後はきっと彼女たちが愛おしくなるのだと思う。ハードボイルド少女の青春バカコメディ映画の傑作と言えよう。…が!が!!
これだけは言っておきたい。
この映画で一番偉いのは宮迫演じる「ダメ親父」である
と!!てめえのようなクソ女を男で一つで育て上げるために、七転八倒するこの親父こそこの映画でもっとも偉い!!
彼女がその結論に達しなかったのは、この映画唯一にして最大のキズである。