虚馬アーカイブス

私「窓の外」が「江戸川番外地」というブログに書いた文章をブログに移行したものです。

管理人:「窓の外」
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「キングダム・オブ・ヘブン」(リドリー・スコット)Kingdom of Heaven

 戦国武将として勇名を馳せた武田信玄は、かつて言ったそうな。「人は城、人は石垣、人は堀。情は味方、仇は敵なり」と。

 この映画の舞台は、その武田信玄の生きた時代より400年ほど前に遡る。

 鍛冶屋・バリアンは虚無の男であった。鍛冶屋としての人生にも幸せな瞬間もあったかもしれない。神を心から信じていた日もあったかもしれぬ。だが、妻の死んだ日、彼は神を信じられなくなっていた。彼は孤独になり、村からは白い目で見られた。妻が子供の後を追って、自殺したからだ。神に仕える者たちは言った。自殺した者は地獄に堕ちるしかないと。しかし、妻がなんの非道をしたというのだろうか。
 そこに父と名乗る男が現れる。彼は十字軍の騎士であり、一緒に来いという。だが、彼にはどうでもいいことだ。今更なんだというのか。彼は断る。神の名の下にいる軍隊に入るつもりなどない。俺は鍛冶屋だ。そう、彼にとって確かなのは鍛冶屋である自分だけであった。
 だが、鍛冶屋としての人生は突然終わりを告げた。司祭が妻の首を切り落としたと言う。彼は激高し、男を殺してしまう。彼は家を焼き払い、父の下へと行く。彼は鍛冶屋としての人生の全てを失った。だが、そんな彼を導いたのは父であった。
 教会が彼を裁こうと追っ手を出した時、父は彼をかばい、戦い、そして傷ついた。そして、バリアンに爵位を譲り、騎士の誓いをさせ、死んでいった。彼は父への誓いを自らの心に刻みつけ、そして求め始める。父が自分に語った、どこかにある「平安の都」。キングダム・オブ・ヘブンを。かつて信じたであろう神の代わりに。
 エルサレムへの旅は彼の人生を漂白する旅であった。彼は白いキャンバスとなった。彼はエルサレムで出会った人々から学び、行い、正しき道を探し続ける。曇り無き眼で。

 エルサレムは、十字軍側のエルサレム王国、イスラム教側のサラセンの、双方の王が賢明であったため、つかの間の平和を保っていた。だが、エルサレム王であるボードワン一世は死が迫っており、妹婿で好戦派であるギーが横暴をサラセン人相手に働いている。時代は暗雲を呼び込み、エルサレムは戦争への道をひた走り始める。それでもバリアンは守り続けた。

「戦うことを恐れるな。」「勇気を示せ。」「死を恐れず、真実を語れ。」「弱者を守り、悪しきを行うな。」

 父との4つの誓い。エルサレムに来ても神はいなかった。神の名の下に行動を起こす者たちは、人として非道を尽くしている。では、彼は騎士としてどう生きていけば良いのか。彼は答えを急がない。「私達はどうすればいいの。」と彼と恋仲にあるシビラ王女は聞く。「運命に委ねよう。運命が道を定める。」とバリアンは答える。彼には騎士としての誓い以外に失うものなどない。彼は運命に導かれ一つの答えを見出す。

 その答えを、人々に叫び、行い、そして戦う。その姿に、俺は震え、涙したのだ。

 正義。愛。宗教。国。それすらも超えた真実に出会った彼の姿を見て、あなたは嗤うだろうか。だが、もし我々が戦いにおいて、その心を持ち続けられたならどんなに、世界はどんなにマシな姿になるだろう。世界に幻滅している私にすら、「平安の都」を夢想させた。そんな男が主人公であるこの映画を、傑作と呼ぶにやぶさかではない。