虚馬アーカイブス

私「窓の外」が「江戸川番外地」というブログに書いた文章をブログに移行したものです。

管理人:「窓の外」
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「オアシス」(イ・チャンドン)오아시스

 この映画は純愛映画なのだろうか。映画を見たあと考えていたのはそこだった。ひっかかりを憶えつつも、だが、あれはたしかに「純愛映画」だった。そこは否定できずにいた。

 ある愛の物語である。
 男は、前科三犯無職。交通事故で人を死なせた罪で刑務所に入り、出所したばっかりの男。駄目人間オーラを漂わせ、常にオドオドしながら無銭飲食を繰り返し、親戚に鼻つまみにされ、無責任に生きていることをことあるごとに説教されるが、言われたことに対して真面目に聞かないボンクラ。社会不適応者の典型と言える彼が、被害者の遺族に会いに行った先である女性と出会う。
 その女性は、脳性麻痺だった。
 どうしようもない男と出会ってしまい、(与しやすしと)目を付けられたあげく、レイプ未遂までされる彼女。だが、彼が気まぐれで言った言葉を、彼女は一人の女として忘れられずにいた。彼は言った。「かわいいよ。」と。
 どうしようもない出会いから始まったサイテー男とノーセーマヒ女という「合わせてウン重苦?」な2人の関係は、やがて互いの心の拠り所、つまり「オアシス」となっていく。

 この映画を見ていて思ったのが<見せ物>である。脳性麻痺という生態を見せるショー。この映画ってそういう姿勢を隠してないと思うのだ。とにかくその描き方はえげつないほどで、見た瞬間「うわ」というインパクトを伴う。人間は「外見」で判断する、だからいけない、などという手加減など微塵もなく、ただただ奇怪な「化け物」然とした姿のありのままを、ムン・ソリに演じさせる。そしてダメ男を見事に「創造」させてしまうソル・ギョング
 奇怪でありながらけっして不自然とはとられないほどの、感情表現すらこなしてしまう、主演の2人による極限の演技。いや、演技というより、そこに憑依し、「居る」のだと思わせるほどの、。そんな域まで研ぎ澄まされた技の応酬。
 ここには「見せ物」に相対する「覚悟」とはいかなるものか、というものの本質がある。

 そしてこの映画は、主演ふたりの器に乗っかって、その先の更なる高みへと突き進む。
 かつて例をみないほどのニンゲンの屑である「駄目将軍」と、その映画史上に類を見ないほどの醜悪な「もののけ姫」の交情。そんな2人の「奇怪」な図とそこにある純なる感情の落差。

 そして、一瞬訪れる、軽やかな幻想。恋の魔力ははかないが、だからこそ美しい。嗚呼。ここで落涙させられてしまう。つーか泣かずにおかりょうか!

 この映画は強靱な見世物<エクスプロイテーション>スピリットに支えられ、比類なき純度を有した「純愛映画」としての完成度も手に入れてしまった。世にも奇怪なる、奇跡的傑作。