虚馬アーカイブス

私「窓の外」が「江戸川番外地」というブログに書いた文章をブログに移行したものです。

管理人:「窓の外」
ホームページ「江戸川番外地」で過去に書いたテキストを移行したブログです。

「ラストサムライ」The Last Samurai(エドワード・ズウィック)

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 この映画を見終わって、その変な感覚に動揺した。

 良い映画だった。だが、正直言ってとまどってもいた。これは本当にアメリカ映画なのか、と。

 日本映画・・・ではない。幕末から明治初期までの歴史というのは日本人にとってなじみの深いものであるから、そこの考証をばっさりと切ってしまうという発想は日本人はしない。出来ない。
 これはアメリカ人の生みだした、明治初期の日本を舞台に消えゆく侍を描いたファンタジーであることは否定しようがない。

 そう、出だしはアメリカ映画だった。南北戦争で英雄の称号を勝ち取りながら、インディアンという名の「蛮族」討伐・・・・という名の虐殺に荷担したことで、後悔と失意に打ちのめされた、一人の男。戦士としての誇りを著しく傷つけられ、さりとて普通の職に就くこともままならない。酒浸りの日々を送る彼に、かつて虐殺を指示した上官が彼に依頼をする。それは明治維新以後の日本において、反逆の徒を駆逐する軍隊を育てること。

 まさしくTHE アメリカである。

 他人の喧嘩にしゃしゃり出て、引っかき回し、逆らう「蛮族」は潰す。主人公・オルグレンに依頼した上官は、まさに「THE アメリカ」の象徴と言える。戦いを欲し、その為に日本へも赴く。誇りを傷つけられ、それでもなお戦う事を捨てられないオルグレンもまた、その一人だった。
 過去の後悔と未来の見えない未知の土地、それを忘れるために現実に向き合うオルグレン。軍隊を育てる事に微かな喜びを感じながらも、過去の後悔は常にオルグレンの脳裏から消えることはない。寄せ集めの軍隊で戦地に赴いた彼は、近代装備を施した軍隊に対して銃も持たずに、手に槍刀、鎧甲冑で突っ込んでくる変な連中との戦闘に敗れ、奮闘むなしく捕らわれる。

 「蛮族」に囚われるという屈辱、そして恐怖。だが、「蛮族」の首領、勝元は彼に興味を示し、彼を雪に閉ざされた村に拘束する。オルグレンはその村で日々を送るうちに、その「蛮族」に深い敬愛を抱くようになる。
 彼らが重視する「名誉」。かつて誇りを傷つけられた男が、「蛮族」の村で見いだした「かつての誇りと後悔を取り戻す」方法。それが最後の侍=「ラストサムライ」になることだった。

 そして主人公は、「THEアメリカ」と対決するに至る。

 ここがこの映画の奇妙な所だ。アメリカという市場において製作するということは、なによりもアメリカ人の感情移入を優先するはずなのだ。ところが、この映画、かつての日本の美徳「謹厳実直」さを称揚し、葉隠の一節「武士道とは死ぬ事と見つけたり」を実践することの美しさをこれでもかと映し出す。

 つまりアメリカ人にとって未知の民族の美徳を褒め称えている。
 これは変な感じだ。まるでビン・ラディン側に付いてしまったランボーみたいな話だからだ。9.11以前のアメリカでは考えられない映画だ。自分が感じた違和感はまさにそれだと思った。

 そしてもう一つ。
 そんな物語を見せられているうちに、ふと思ってしまったのだ。

 この映画は俺達に語りかけているのだと。

 俺達とは?
 無論、日本の観客のことだ。

 映画の終盤、明治天皇は言う。「我々が「日本人」であることを忘れてはならない。」と。これは誰に向かって言っているのだ?アメリカの観客に、じゃないだろう。日本の観客でなければ共有し得ない台詞だ。

 見終わって、これはアメリカ映画か?と思ったのはその2つの理由に依る。奇妙だ。アメリカ映画からなんでそんなメッセージを受け取らなければならないのか。サイレント侍(福本清三)の「オルグレンさん!」と叫びながら主人公を身を挺して守る場面に泣き、渡辺謙の格好良さにしびれ、小雪の抑制された美しさに感銘を受けながらも、自分が日本人でありながら、実は侍の精神から遠く離れた場所にいることを不意に指摘されたようで、非常に面食らった映画でありました。

 「ファインディング・ニモ」Finding Nemo(アンドリュー・スタントン)

 共同監督:リー・アンクルリッチ


 この物語はシンプルだ。一人息子がさらわれ、親は必死に息子を捜し、息子は必死に親の元へ帰ろうとする。そして最後に2人は再開する。それだけの話。にも関わらず、そんな物語を面白くしてしまうことを、さも当たり前のようにこなすピクサーというスタジオの凄さを垣間見る。ことストーリーテリングに関して言えば、まさに世界随一の工房だろうと思う。
 よい物語ありき。その当たり前を実践するのは難しいが、それを見事にやり続けているのがピクサー・スタジオである。


 カクレクマノミのマーリンは、昔妻と多くの卵を失ったため、外海に出る事に臆病となり、たった一匹生き残った息子のニモを過保護なまでに育て常に心配している。好奇心旺盛なニモは、そんな親父がウザくなってきており、反発心からマーリンの前で無茶をして、人間のダイバーに捕まってしまう。
 息子がさらわれた。そのことで必死にダイバーの乗った船を追いかけるマーリンは、船を見たというナンヨウハギのドリーと出会い、彼女と一緒に追跡の旅へ。だが彼女は覚えた先から記憶をなくしてしまう魚だったのだ・・・・。

 一方、シドニーの歯医者の家の水槽に入れられたニモは、そこで多くの熱帯魚たちと出会う。その中のリーダー・ギルは水槽の中で唯一海から来た熱帯魚だった。彼らが言うには、歯医者の姪の誕生日が近づいており、毎年一匹の熱帯魚が彼女に与えられ、犠牲になっていたのだ。脱出しなければニモの命が危ない。ギルの作戦の元、熱帯魚たちの大脱走作戦が始まった。



 とにかく個性的なキャラクターのつるべ打ちである。
 「魚断ち」をしようとする鮫、海流という名の高速道路を旅するカメたち、おしゃべりなペリカン、餌のことしか眼中にないあほうどりなど次から次へと、よくまあ、こんなに面白いキャラクターを考えられるもんだと感心する。
 だがこの映画が俄然面白くなるのは、ドリーが出てきて以降だ。このドリーの行動は読めない。なにせ記憶がなくなるので、ペラペラマーリンに話しかけてたと思ったら、突然マーリンに対して「あんた誰!?」とか言ったりするのだ。そのマーリンとドリーの掛け合いが実に面白く、唸ってしまう。

 一方ニモには切実に迫った命の危機が目の前にある。
 脱出しなければ死ぬ。命がけの脱出は、まさにミッション・インポッシブルな脱出作戦の面白さ。こちらにもまた唸る。シンプルな物語を豊かに語る。すごい。凄すぎる。

 ・・・・と褒め称えておいて、★4つなのはなんでか。
 それは、結局「魚世界」のみで物語が完結してしまったから。この映画はたしかに親と子が再会する映画なんだが、ピクサーという工房の作品は皆、「異世界と人間の交わり」が基本としてある。俺はピクサー作品の中で「バグズ・ライフ」だけがもの凄く違和感があるんだけれども、これもまた「虫世界」の中で完結してしまう物語だった。
 人間は魚を弱らす悪役でしかない。魚は魚世界にいるほうが幸せだ。そういう話に落ち着き、熱帯魚として水槽に飼われる(映画に登場しない)多くの魚には、救いがない。
 そして、人間は物語世界から完全に切り離される。

 だから、見ている間は退屈せずに練りに練られた手練手管を堪能しながら、映画が終わった後、それほど深い余韻はなかったりする。
 「トイストーリー2」のおもちゃの葛藤に涙し、「モンスターズ・インク」の怪物と幼い人間の交情に目を潤ませてきたものにとって、ピクサー作品として手応えが足りない、という思いを否めなかったのはその為だと思う。

「千年女優」(以下ばれ感想です。)

★★★★★★★★★★(5点満点で)


 「千年女優」という映画の肝は、かつての名女優「老・千代子」ありきなのかもしれない。

 今はもう引退し、地方の一軒家に隠棲する日本映画の黄金期を支えた伝説の女優。
 その女優「藤原千代子」にドキュメンタリーのプロデューサーとカメラマンが、インタビューをしに屋敷に赴く。
 プロデューサーはかつての千代子の大ファンであり、非常に心酔している。
 お手伝いさんに部屋へ通され、待っている二人の前に、そのかつての名女優が現れる。


 この「老・千代子」が実に素晴らしかった。この時点で自分は負けていたのかもしれない。


 老いてはいるが枯れてはいない。
 スターであったことの残滓が見て取れる、オーラ。
 しかし、決して傲慢ではなく、非常に控えめな人柄。
 時折少女のような笑顔を見せる。
 座ったときに背筋がぴんと伸びていて、その座り方一つでこの女優の品の良さが分かる。


 惚れた(早い)。


 この時点からこの映画に説得力を感じていた。一人の老女優を目の前にして。
 千代子という女優の人生に付き合う用意はできていたのかもしれない。
 ハマる人とハマれない人との最初の分かれ道のような気がする。


 さて、ちょっと閑話休題


 この映画を実写にすればいいのに・・・、という文をちらほら読む。
 出来るもんならやって欲しいが、莫大な予算をかけて実写モノを再現するのは容易ではないし、しかも金をかけてこんな虚実入り交じった話がペイされるとは思えない。

 その辺をクリアしたとしよう。
 だが、たった一つ難点がある。

 映画を見た後でこの映画が実写で撮れる可能性について考えていたときに、最大の難関が実は、この「老・千代子」の存在のように思えたのだ。彼女がいるから映画が締まる。

 「少女・千代子」「中年・千代子」あたりなら代役が見つかりそうだが、「老千代子」の様な、可愛げがあり、少女の面影を残し、しかしカリスマ性も備える。

 そんな存在がいるだろうか。かなり難しいように思う。

 森光子あたりか?
 しかしあの人はちょっと俺の想う千代子像と重ならない。大変失礼ないい方ではあるが、気品とカリスマ性の部分がやや足りない。
 そうなると・・・・思いつくのは、吉永小百合くらい。
 しかし、もう少し老けてもらうのを待つしかない。

 結局この物語をアニメで制作するのは、最も現実的かつ、効果的だったと結論付けたい。



 話を戻します。



 インタビュー開始後、早くも幻想の世界が現れ、その世界の中に社長とカメラマンが千代子を追っていく構成となる。
 彼を追って女優の道に入り、「あの人」を想う気持ちから女優としての才能を覚醒させる千代子。
 この幻想を生み出している事への説得力も、結局のところ、「老・千代子」の存在感に尽きる。
 かつての映画と同じシーンと彼女の生き方が、絶妙にリンクする幻想編。

 少女時代、一目惚れし、またいつか会おうと決めた画家志望のアナーキスト=鍵の君。彼と不本意に別れたその日から、彼を追う彼女の鍵の君を追う人生の旅路は始まる。

 やや、少女・千代子の演技がアニメ的オーバーアクトで、説得力がない、という指摘があるが、話自体はあくまで「老・千代子」のインタビューなので、引退した「老女優」の演技がオーバーアクトになってしまったとしても、不思議ではない。と思う。「老女優」のインタビュー場面が時折挿入されるのも、それが「あくまでもインタビュー」上での幻想だからに他ならない。

 幻想はインタビューするプロデューサーと老・千代子の「共有世界」だ。だから、千代子の記憶が曖昧な部分はすべてプロデューサーの映画的記憶で補完しているので、同じ俳優が別の役で何度も登場する。
 手塚治虫スターシステムのような、面白さだ。

 そして突っ込みを最低限、入れるためにカメラマンに「ツッコミ属性」を付加させて現実感をもたらす効果を狙った。
 観客は最初、彼に誘導され、そしてそこから、徐々にプロデューサーか千代子に意識を委ねていくのが正しい見方だと思う。

 この幻想部分の編集は見事の一言に尽きる。

 息を付かせる間もなく見事に場面転換して、観ている者の度肝を抜く。そのタイミングは素晴らしい。

 満州の列車事故直後の展開は爆笑してしまう。

 映画である以上、きちんと幻想から引き戻す部分を作る。幻想モノ(デヴィッド・リンチとか)のような地に足つかない感覚がそれほどないのは、千代子は走り続けているからだ。



 人生を、恋路を、女優道を。



 走るという行為を一本の線にしたのは上手い。これでクライマックスに加速がつくことになる。

 ところで、女優として大成していきながらも彼女は幸せには行き着かない。千代子にとって、あくまで女優は「鍵の君」に会うための「手段」に過ぎないからである。

 それはこの映画で徹底されて語られているのだが、それを指摘するレビューは意外と少ない。彼女にとっては望まぬ、苦界なのである。幻想編で芸者に身をやつすシーンがあるが、まさにそれを象徴していて、深くため息をつかんばかりに感心した。

 そして 映画という幻想に依って戦国時代から江戸、明治大正、そして昭和をすぎていく。

 だが彼女は彼に行き着けない。

 そして時代が彼女の生きた時代に追いついたときに、プロデューサーと千代子の意外な関係が明らかになる。
 そこから、話はより信憑性を増す展開に変わっていく。

 なぜ幻想が二人の共有世界として存在したのか。

 その謎がこれですっきりと解かれる。

 そしてプロデューサーが彼女の人生を狂わせた初恋の顛末の鍵を握ることになる。





 さて、それ以降、彼女の人生の歩みが語られつつ、彼女の追い続けていた鍵の君への思いの丈をぶつけるようなクライマックス。
 様々な「千代子」が「あの人」へ向かっていく姿を繋げる編集は圧巻!

 そして、千代子は走り続けた生涯を終える。











 この映画の凄いところはプロデューサーと大女優の間に「共有幻想」の成立させた点にあり、そこから吹き出す千代子の「鍵の君」への思い、女優としての人生、狂わされた人生、プロデューサーの女優の彼女への入れ込みぶりとその思い、映画の素養、知識、それらがセリフを介するのではなく、すべて画で表現しながら、見事に整合性をつけた、その手腕の見事さにある。

 しかも上映時間、わずか87分!!

 これをセンス・オブ・ワンダーと言わずしてなんとするんだ!!


 と思っていたので、世間の冷たいレビューは非常にさみしかった。

 「女優の幻想」に惑わされる二人の男の話、と思いこんでいる人がいるが、それは違う。聞き手側の思惑もちらほらと混じって、共有しているからこそ、プロデューサーの勝手な「映画への闖入」も許容されているのだ。

 そこの認識が出来ないとこの映画を理解しているとは言えないだろう。

 その辺、理解してくれる人がもっとたくさんいるだろう、と思っていたので、つまるつまらないを超えて凄い、ということすら理解できない人も中にはいて、愕然とした。

 見りゃわかる、と思ってたんだけどなー。


 さて。

 いろんな人のレビューを見てきて、共通して物議を醸したものがある。  ラストの千代子のセリフである。



 「だって、私、あの人を追いかけている私が好きなんだもの」


 これが異様に不評だ。このセリフが世間的な評価を下げていると思うと寂しい限り。

 確かに、センスオブワンダーのあとのこのセリフは無粋の極みとも思う。

 だがこのセリフの意味について考えて見たときに、「今までのはすべてホラでした」というのとはちょっと違う何かを感じていたのである。自分は。



 今まで取材を拒んできた彼女がなぜ、インタビューを受け、一代記を語る気になったのか。
 多分、彼女は女優を引退して「鍵の君」からの呪縛から逃れた生活を送る彼女が行き着いた結論が、それだったのではあるまいか。
 狂気にも似た純粋な恋に狂わされてきた人生を振り返ったとき、残ったのは女優としての過去を持つ自分しかいない。だからこそ、それをとどめおく機会を選んだのでは無いかと。


 あまりに唐突で説明不足なセリフではあるが、この一言で評価を下げたくないほど、自分はこの映画が好きだ。


 だって。


 俺、「あの人」を追いかけている藤原千代子が好きなんだもの。

生宮崎駿はこうして拝んだー「千と千尋の神隠し」舞台挨拶in 日比谷みゆき座ルポ

 「千と千尋の神隠し」の公開を前日に控えた昨日19日6時頃、銀座に降り立った窓の外。  この日のために、デジカメを用意してお・・・・く事が出来なかった(一度買いに行ったら、値段が予算を大きく超えてんだもん)ので、ばたばたとビッグカメラ新館で購入。
 相変わらずの行き当たりばったり人生である。

 ソニーサイバーショット
 自分としては大奮発である。(なにげにボーナス物欲解放戦線の規模として最大であった。)  結構機能がいい割に手頃な値段だったので購入したのだが、店員に付属の電池だけでは3・4枚しか撮れませんから、充電池も買えという脅しを受け、7800円也の充電池セットと予備のメモリースティックを購入を余儀なくされる。
 くそソニーめ!ALL IN ONE、とか書いて置いてよけいなもん買わせるなよ!あこぎな商売しやがって。

 そんなこんなで8時頃、日比谷東宝映画街のスカラ座前に行く。
 予想通り既に300人近く、並んでいる。

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 スカラ座の社員の人が集まっている行列に向かって言う。
 「券は早朝お売りいたしますので、いま並んでいる方は一端帰っていただいて、五時頃またお越し下さい。」
 「お客様が入りきらない場合、第2弾として日比谷映画でも舞台挨拶も予定しております」

 行列している連中、聞きやしねえ。
 そのまま並び続ける。

 くそう、遅れてなるものか・・・と並ぼうとするアタクシ。
 しかしふっと思いとどまる。

 せっかくのデジカメを充電せずにこのまま並んだら、確かに舞台挨拶は見れるかもしれないが、写真はとれないかもしれん!!
 という考えのもと、戦略的撤退!そのまま家へ戻る。

 充電をし、風呂に入り、着替えて夜11時頃、家を出るアタクシ。
 12時近くに銀座に到着。日比谷映画の前にも列が出来ており、その列に並ぶ。


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 私、ここで大きな勘違い。
 これはみゆき座の行列だったのである。

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 説明すると、日比谷東宝映画街には上の画像の三つの東宝系映画館がある。  「千と千尋の神隠し」が本来上映されるのは、スカラ座とみゆき座のみだったのである。  さっき東宝スカラ座社員が言った、「日比谷映画での舞台挨拶」の列を「みゆき座での舞台挨拶」と混同してしまっていた。
 しかし、その時点ではみゆき座での舞台挨拶は予定されていなかったのだ。

 それに気づいたのは並んでから20分くらい経ってからのこと。
 徹夜で行列を仕切ってらっしゃる社員の方達の説明でようやく事態を知った。
 しかし・・・窓の外は残った。その理由は・・・。

 美味しいから

 ・・・なんてことはちょっと思ったけど、無論、こっちに並んでしまった手前、今更やめられない、という変な意地もあった。
 それと「面倒くさい」・・・ということもちょっと思ったが、こちらに残って傍観者に徹するのもいいかな、と思い始める。
 それと、日比谷映画でやるならみゆき座でやる可能性もあるじゃん、という楽観した気分でもあったのだ。

 まあ、そんなこんなで暗い中、バックライトの薄いゲームボーイアドバンスを遊ぼうと四苦八苦していた窓の外の周りで突如拍手が。
 すわ!誰か来た!
 と、ジャーナリストの本能が(んなわきゃーない)、カメラを手に俺を走らせた。

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 案の定、あるジブリの大物、鈴木敏夫ジブリ取締役兼プロデューサー、恒例となった深夜の行列偵察である。
 「すごいなあ」をいつものように連発し、「最後まで頑張ってくださいねー!」などと、劇場が公式では禁止している徹夜連中を激励!「はあい」という歓声と拍手が、去っていく鈴木プロデューサーを送る。
 
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 そんな騒ぎも一段落、何事もなく夜はふけていく。
 前に座っている美術系学生とおぼしき連中は、ヤクでも打っているかのようなハイテンションを維持しているため、眠れやしない。近くのコンビニで何度か買い出しをして、ペットボトル数本と食料と一緒に、カフェイン系眠気ざましを3本ほど買う。結局、それは映画上映までに、すべて消費してしまった。

 頼みのGBAはプレイ出来ないし、持ってきた雑誌も飽きるほど読んでしまった長い夜がようやく明けた頃、少し動きが出てきた。

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 いよいよ券売の時間が迫り、あわただしく立ち始める(スカラ座日比谷映画組の)群衆。
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 もののけ特番でおなじみの電通社員やら、テレビカメラ、新聞関係者もぞくぞくやってきた。

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カオナシもやってきたぞ!「可愛い!」との黄色い声が飛ぶも無口なカオナシくん

その間にも、スカラ座日比谷映画の行列は日比谷公園前まで続いているにも関わらず、一向に伸びないみゆき座組行列に楽観主義の窓の外もさすがに不安になる。徹夜が無駄になるのは、さすがにしんどいからね。

 午後5時半過ぎ、スカラ座の券売所が開き、行列の前の人からスカラ座に消えていくころ、ようやくみゆき座組も起立。
 30分ぐらいして、スカラ座の観客キャパはいっぱいになり、残りの群衆が日比谷映画になだれ込む間にも向こうの列はどんどん増えていく。この期に及んで、みゆき座組行列の中にみゆき座と日比谷映画を混同していた人が何人かいて、ちょっとした混乱になる。ちょっと面白い。

 しかし事態は変わった!


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 なんと日比谷映画前にあり、次々と日比谷映画に消えていく群衆を指をくわえて見ていたみゆき座組行列にも、人が並び始めたのだ!!
 やりい!
 向こうの列が並びすぎてこっちに回ってきたのだ!

 そしてなんと日比谷映画も完パケしてしまった!
 さすが宮崎駿は集客力が違う。
 そして、7時過ぎ。みゆき座も開場。

 金曜初回割引システムで、なんと今日は学生・一般1300円!
 前売り券を忘れていた窓の外にはありがたいことであった。

 宮崎監督いつでも来い!とばかりに、確証もないのに前方に席を取る窓の外。

 その後グッズ売り場へ急行!
 金に物言わせて、8000円ほど散財。

 上映開始が9時10分のためその間にGBAをやったり寝たり寝たり本読んで寝たりした窓の外。
 その間にも客は次々入場し、ここも立ち見が出る盛況ぶりに!
 同地区3館が同じ作品で満員御礼。1800名近い観客がほぼ同時にでこの作品を見ることになった。凄すぎる。

 そんなこんなでトイレも済まし、最後の眠気覚ましのモカも一気に明け、万全の体制で上映に臨む!
 ビィー!とおなじみのブザーがなり、まもなく上映のアナウンスが流れ、やがて館内暗転。

 CMと予告編に引き続き、ようやく本編上映!!

 ・・・・・。
 徹夜したにもかかわらず、その緩急自在の演出、美麗な美術、魅力的なキャラクター群に画面に引き寄せられ、2時間5分の上映時間、宮崎監督の巨大な掌の上で興奮し笑わされ、しんみりした満足の作品。

 とだけ言っておこう。

 木村弓の「いつも何度でも」を聞いて胸にせりあがる感情を抑えながら、手はいつでもカメラのスタンバイオーケー!!
 いつでもきやがれ!な状態に。

 (・・・・でも来なかったらどうしよう)

 などという一抹の不安と共にスタッフロールを見つめる窓の外。
 やがて場内が明るくなり、われんばかりの拍手がうなるように起こる!!(これはもうお義理でない心からの拍手だと信じたい)

・・・・・・

 あーーーーー!

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!!


来たああああ!
とりあえずカメラをすぐさま取り出し、軽い恍惚状態と共に日テレ女子アナ(名前失念)を撮る窓の外。

すかさず前方に待機していたスタッフがアタクシに近づいてきた。
「カメラ撮影禁止です]
そんなああ!!ケッチー!ケッチィイイ!ブウー!ぶー!

そんなこんなをしているうちにどよめきが起こる。横の扉から現れた白髪のひげ親父は!!

監督だー!!(壇上で異様に照れる可愛い一面をのぞかせる)
柊瑠美ちゃんだー!!(ただしコスプレなし)
内藤剛志だー!!(いかにも場違いな所へ来た、という風情w)

でも私がスタッフの方をちらっと見るとこちらを向いて目を光らせている・・・ちっ!

こうなったら隠し撮りだー!!

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ああ!!


くそうピンボケだー!!

宮崎監督第一声
「来る前はいるのが(観客が)3人くらいだったらどうしようだなんて考えていたんだけれども、暑い中こんなに集まって頂いてありがとうございます」
謙遜にしては行き過ぎですが、非常に人柄が表れているコメント。
 「この映画は10才に向けて云々」という良く聞くコメントが続いたので以下省略。

 柊瑠美ちゃんの無難で素朴なコメント、内藤さんの監督を立てる大人なコメントを言っている間、窓の外はシャッターチャンスを狙っていた。

 とう!!

内藤さん、まだ喋ってます
どうだ!!

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 ホムペで見ると大した違いはないように見えますけど、写真的にはこっちの方がまともに撮れているので、満足!
 本当はもっと望遠を利かすつもりだったけど、仕方あるまい・・・。

 3人のコメントが終わり
 女子アナが
 「徹夜で並んだ方もかなりいたと聞きましたけれど・・・徹夜したかた~?」
 と水を向ける!

 「はあい!!」(心の声)と素直に手を挙げる窓の外。

 「そんな熱心なファンに対して、宮崎監督、一言お願いします。」と女子アナ。
 うおーん!感激!ありがとう!名前忘れてごめんよー!(オイ

 「ありがとうございます。この映画をみなさん、徹夜で作っている、と思われているかも知れないけど、徹夜はしてません。」
 「経験から言って、2時までに寝れば昼型生活は維持できます。」
 「ですが、それ以降になると、駄目ですね。2時半が3時になり、3時半が4時になり、5時になんないと眠れなくなる。」

 すいません。6時寝が基本になってます(爆)

 「みなさん、徹夜はやめましょう。(笑)」

 ・・・「徹夜は良くねえ。特に女性の美容にはな」
 というポルコ・ロッソの台詞を彷彿とさせるおせっきょ・・・もといお言葉を観客に残し、去っていく宮崎監督一行。
 感激と映画の余韻と徹夜明けの疲れを抱えながら、強い日差しの劇場の外へ向かった窓の外さんでした。

 おしまい。


天藤真大誘拐」を読了した。

岡本喜八監督の映画版を見て見事にハマり、角川文庫版の原作も即購入した窓の外。

どちらもくり返し見て読んだので、筋はほぼ記憶している位、大好きな話。
創元推理文庫の「天藤真推理小説全集」にようやく登場したので、そちらも購入し改めて読んだ。

知らない人の為に、軽く粗筋を紹介。
戸並健次は三度目の刑務所暮らしの中である犯罪を計画していた。秋葉正義、三宅平太を仲間に引き込んだ戸並は出所後、彼等に計画を打ち明ける。それは、とある老女の誘拐。全国に名だたる資産家で持ち山が大阪府をずっぽり包んでお釣がくる4万ヘクタール。困難極まる状況を乗り越え、三人はその老女、柳川とし子刀自の誘拐に成功するが事態は思わぬ方向へ発展する。

 斬新奇抜で予想がつかない事件。存在感たっぷりのキャラクターがテンポの良い展開と洗練されたユーモアが入り交じって昇華する、本当に一つの理想的な小説。ある意味ファンタジーのような話でもあり、それでいて一つ一つは現実的に展開する。その天才的な構成力は何度読んでも感動する。

 筋を知っていても何度でも読みたい小説。こういうのが真の娯楽小説の傑作と言われるべきだろうと思う。

 家に帰ってから借りてきた「ナビイの恋」(中江裕司監督)を見る。
評判がいい映画だったのだが

・・・ヤハリ良かった。
音楽の沖縄民謡と西欧音楽のミックスは相性が良く、選んだ弾き手、歌い手も素晴らしかった。
そんな方々が奏でる音楽に乗せて語られるおばあちゃんの秘めた恋のお話。おばあちゃんが昔の思い人と消えていくシーンよりも、残された人たちが幸せに歌っているラストシーンで泣けた。おすすめ。

買ったもの:

・「おまかせ!ピース電器店」19巻(能田達規 秋田書店
・「神々の山嶺」上巻(夢枕獏 集英社文庫)


 ようやく京極夏彦の「魍魎の匣」の文庫版を読み終えた。
 読み終えるまでにかかった日数3週間・・・。長い。いくら窓の外が本を読むのが遅いっつっても長い。  ここ何週間もカバーをつけたこの文庫を会社に持ち込んでいたので、「なんでAさん、いつも辞書持ち歩いてるんですか?」とか聞かれた。・・・確かに辞書に見えないこともない。

 この長さはこの複雑な事件を語る前ふり自体もかなり長いのだが、京極堂という探偵役の「憑き物落とし」という事件解決の必然的な回りくどさから来ている、と思う。とにかく普通の探偵役より京極堂のそれはかなりめまぐるしい能力を要求される。前作「姑獲鳥の夏」を読んだ時は、それほど気にならなかったのだが、この第2作に至ってかなり京極堂の人間業とは思えぬ超人的解決を見る。こんなすげえ人間がいたら、妖怪より不思議だ(笑)。
 まずこの真実に到達するのに、かなりの想像力を要する。読者に呈示された情報だけでは当然、この真実へ到達するのは困難だが、じゃあ京極堂だけが知っている事実を積み重ねたら分かるか、というと絶対「普通の人間」には無理だ。しかも、他人からの伝聞やまた聞きなどから必要な情報を選り抜き、噛み砕き、それを自分のものにした上で、それぞれの人物の人間像をきっちり把握し、それぞれの「その時、その瞬間」の心理を京極堂はきちんと把握し、その上で再構成し全体像をそのつど修正する。そうして完成した全体像を、もいちどバラバラに分解して何度も再構成などをしたはずだ。そうでないと憑き物落としは完成しない。
 そして語りの実力も凄まじい。そもそもの憑き物落としの青写真を作った上で、情報を如何にして情報公開していくかを考え、相手の反論や合いの手を先回りして答えられる用意も怠らず、なおかつ関口や榎木津らの予定外の指摘やらネタバレのために軌道修正を繰り返しながら、アドリブやウンチクも交えて事件の全体像を語り尽くす。落語家になってたら、歴史に残ってたろう。
 こういう探偵像を生み出しただけでも、京極夏彦は確かにすごい。おそらく京極夏彦がいっぱいいっぱいの精神力で推敲に推敲を重ねた事は想像に難くないが、それを語り尽くさせる、という展開が京極堂という男を人間を超えた理性を持った探偵、ならぬ陰陽師にしている。やっぱり「不思議な事などないのだよ。」と言っている京極堂本人が一番不思議だ。

買ったもの:

・「SOUTH PARK:BIGGER ,LONGER&UNCUT」サントラCD

South Park: Bigger, Longer & Uncut - Music From And Inspired By The Motion Picture

South Park: Bigger, Longer & Uncut - Music From And Inspired By The Motion Picture


見た後、すぐHMV渋谷店に飛び込んで買ってしまった。どのナンバーも傑作だけどやっぱテレンス&フィリップの「UNCLE F**KA」が最高。テレビ版で個人的に大受けだった「KYLE'S MOM'S A B**CH」の豪華版も収録されてて大満足。2本買うと割り引きだったのでついでに、今まで買えずにいた「THE MATRIX」のサントラも購入。

・「逃亡」上巻(帚木篷生 新潮文庫
・「大誘拐」(天藤真 創元推理文庫

大誘拐―天藤真推理小説全集〈9〉 (創元推理文庫)

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 今日は珍しく7時前に目を覚まし、飯を食ったりしたあと早速渋谷へ向かう。
 もちろんサウスパーク無修正映画版を見に行くためだ。

サウスパーク 無修正映画版 [DVD]

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 やはり御盆の東京はいい。すいているからいい。地下鉄をのりついで1時間半くらい。渋谷に着く。窓の外は渋谷が好きではない。どっちかというと嫌いだ。見たい映画のために仕方なく来るのだが、午前中の渋谷は好きだ。要は人のまばらな渋谷がお気に入りだ。なんか愛らしい。結局街というのは器で決まるのではなく中身で決まるのだと実感する。
 上映の2時間前に券を買いうろつく。この街はまばらな位が趣があってしっくりするのではないかと思う。人が多いと落ち着かなくなってくるのは、この街の適性人数をオーバーしているからなのではないか、と思えてくる。新宿なんかは逆に人がいても気にならない。池袋はまばらな平日がちょうどいい感じだ。銀座は人がいないと寒々しい。秋葉原は・・・いつでも気が楽だ(笑)。
 今度から渋谷は朝イチで来よう。決めた。

 11時50分の回なので20分くらいに劇場へ戻るとすごい人だ。早めに来て良かった。整理券制なので早く券を買ったもの勝ちなのは知っていた。こないだ新宿で「顔」を見に行った時、上映間際に着いたら立ち見で一回飛ばした経験が活きた。余裕で座れた。ラッキー。
 映画は上映1時間21分の中に中身がぎっしり詰まった至福の時間。下品で残虐で伝統的ミュージカルアニメ(笑)。でも表現同様、メッセージ性もエッジが効いている。例え下品でも検閲などさせないぜ!ビーフケーキ!

 劇場を発ったのは午後1時。渋谷はいつものゴミゴミした街に戻っていた。サウスパークのサントラ買った後、窓の外は逃げるように立ち去ったのだった。