「害虫」
★★★★★
●少女の静かなる落とし前。
小学生の頃の元・担任教師との恋愛。
そして母の自殺未遂。
過去や家庭に傷を抱えた中学1年生の少女、サチ子。
彼女の噂話が飛び出す環境に耐えられずに学校からドロップアウト。
同じ不登校の少年タカオや、精神薄弱の中年男、キュウベエと知り合い、小さな悪事を繰り返す生活に、彼女は次第に少女らしい笑顔を取り戻す。
だが、タカオが人を殺して逃亡。キュウベエもいなくなり、彼女は学校生活へ戻っていく。
親友の夏子の存在、クラスの人気者、花山との交際など、学校生活は順調に見えたが・・・。
「ロリコンは必見の映画である」(柳下毅一郎氏「(NOT SO) MOVIE DIARY」 1月25日分)。
すげえ。
確かにロリコンは見るべきである。
そして自分の性癖の業の深さに打ちのめされるべきである。
過激な描写が出てくるわけでは決してない。
際どいシーンが多いわけでもない。
描かれるのは淡々とした、ある少女の人生のうちの数日間、狂っていく日常を追いかけた映画である。
この映画で、セリフは本当に必要最低限まで絞り込まれ、だが決して空疎はなく、映像が雄弁に語り、主人公の心情が痛いほど伝わってくる。
この映画が描いているのは、彼女の中の「事件」の「点」、彼女の「日常」の「線」、の二つに分けられる。
彼女は「点」が打たれるたびに少しづつ方向を変えていく。それは日常の延長にあるゆるやかな変化であるが、それはやがてゆっくり少しづつそれは、「運命」のラストへとゆるやかに加速していく。
彼女の運命を少しずつ変えていく者。
元・担任教師。ウザい同級生。不良仲間。親友、恋人。そして・・・
ロリコン男性。
いや、ホントに。
つか出てくる男性の7割方は「ロリコン」という極め付き。
しかも監督も
どこか倒錯したロリコンなのではないか!?
と思わせる映像で、宮崎あおいの静かな魅力を捉える。
真性ロリコンという人種の業の深さは、予想以上の底なしであった。
彼女はもはや、学校や親友、恋人、家族、
そして最愛の人さえも・・・
信じてはいない。
ほんのささいな「事件」の積み重ねが人生である。
だが、事件は起こっても日常は続く。
この映画に流れる「時間」はサチ子の人生にとっては流れていった「日常」の一部に過ぎないだろう。
あの一見非情にも見えるラスト。
だが、その後もサチ子は生き続けるのだろう。彼女の終盤の行動は人生を生き抜く強さの裏返しでもある。
クラスや学校、親友、恋人、家族、その他もろもろに背を向け、一人生き抜く覚悟を観客は目撃する。
そうこれは、13歳のハードボイルド映画なのだ。
そして何年か経った後。
なんでこういう「道」へ進んだのか問われた時、彼女は答えられるのだろうか。
彼女はこの映画の中の日常を思い出せるだろうか。
いや。
きっとこういうに違いない。
「忘れてしまったわ。」
と。
そう、多分忘れてしまうだろう。
「時間」を大切に描いて、「人生」を描く。
そういう「無意識」に少しづつ歯車が狂っていく日常を描きながら、エンターテイメントとして成立させた塩田監督の才能に驚愕すべし。
●少女の静かなる落とし前。
小学生の頃の元・担任教師との恋愛。
そして母の自殺未遂。
過去や家庭に傷を抱えた中学1年生の少女、サチ子。
彼女の噂話が飛び出す環境に耐えられずに学校からドロップアウト。
同じ不登校の少年タカオや、精神薄弱の中年男、キュウベエと知り合い、小さな悪事を繰り返す生活に、彼女は次第に少女らしい笑顔を取り戻す。
だが、タカオが人を殺して逃亡。キュウベエもいなくなり、彼女は学校生活へ戻っていく。
親友の夏子の存在、クラスの人気者、花山との交際など、学校生活は順調に見えたが・・・。
「ロリコンは必見の映画である」(柳下毅一郎氏「(NOT SO) MOVIE DIARY」 1月25日分)。
すげえ。
確かにロリコンは見るべきである。
そして自分の性癖の業の深さに打ちのめされるべきである。
過激な描写が出てくるわけでは決してない。
際どいシーンが多いわけでもない。
描かれるのは淡々とした、ある少女の人生のうちの数日間、狂っていく日常を追いかけた映画である。
この映画で、セリフは本当に必要最低限まで絞り込まれ、だが決して空疎はなく、映像が雄弁に語り、主人公の心情が痛いほど伝わってくる。
この映画が描いているのは、彼女の中の「事件」の「点」、彼女の「日常」の「線」、の二つに分けられる。
彼女は「点」が打たれるたびに少しづつ方向を変えていく。それは日常の延長にあるゆるやかな変化であるが、それはやがてゆっくり少しづつそれは、「運命」のラストへとゆるやかに加速していく。
彼女の運命を少しずつ変えていく者。
元・担任教師。ウザい同級生。不良仲間。親友、恋人。そして・・・
ロリコン男性。
いや、ホントに。
つか出てくる男性の7割方は「ロリコン」という極め付き。
しかも監督も
どこか倒錯したロリコンなのではないか!?
と思わせる映像で、宮崎あおいの静かな魅力を捉える。
真性ロリコンという人種の業の深さは、予想以上の底なしであった。
彼女はもはや、学校や親友、恋人、家族、
そして最愛の人さえも・・・
信じてはいない。
ほんのささいな「事件」の積み重ねが人生である。
だが、事件は起こっても日常は続く。
この映画に流れる「時間」はサチ子の人生にとっては流れていった「日常」の一部に過ぎないだろう。
あの一見非情にも見えるラスト。
だが、その後もサチ子は生き続けるのだろう。彼女の終盤の行動は人生を生き抜く強さの裏返しでもある。
クラスや学校、親友、恋人、家族、その他もろもろに背を向け、一人生き抜く覚悟を観客は目撃する。
そうこれは、13歳のハードボイルド映画なのだ。
そして何年か経った後。
なんでこういう「道」へ進んだのか問われた時、彼女は答えられるのだろうか。
彼女はこの映画の中の日常を思い出せるだろうか。
いや。
きっとこういうに違いない。
「忘れてしまったわ。」
と。
そう、多分忘れてしまうだろう。
「時間」を大切に描いて、「人生」を描く。
そういう「無意識」に少しづつ歯車が狂っていく日常を描きながら、エンターテイメントとして成立させた塩田監督の才能に驚愕すべし。